本稿では光源氏の母桐壺更衣が亡くなった「夏」に注目し、『源氏物語』の前篇41巻のうち、24巻に描かれた「夏」の内容について検討した。そして特に、更衣に似た藤壺、更衣の血筋につながる明石君、さらに藤壺に似て血筋にもつながる紫上等の、桐壺更衣との関連から登場した女性たちが、光源氏の生と愛に深く関わりながら、更衣のなくなった「夏」の意味を形成していることを見出した。整理すると次のようになる。
「若紫」 「紅葉賀」 「若菜下」 「鈴虫」へと続く「夏」は、光源氏が母更衣に似た藤壺を愛するようになることから始まる。桐壺帝を裏切った光源氏と藤壺は恐ろしさに震え、そして事実を知った冷泉帝によって光源氏は改めてその恐ろしさを自覚するようになり、さらに女三宮と柏木の恐れを通じて光源氏は己れ自身の罪深さを直視し自分の行為を反省するに至る。そしてついに、女三宮の持仏開眼供養と生活を世話しながら蓮の花咲く「阿弥陀如来の浄土」へと導かれる。母更衣に似た藤壺との愛は、結果的に光源氏を浄土の世界に導くことで、母更衣の亡くなった「夏」の意味の一部につながるのである。
「明石」 「澪標」 「藤裏葉」 「若菜上」 「御法」へと続く「夏」は、桐壺更衣の従兄で家の榮華回復という、更衣と同じ宿世を持つ明石入道の登場によって始まる。そして入道の計らいにより光源氏はその娘明石君に求婚するようになる。それに続く明石君の妊娠と生まれた姬君の入内、明石女御が桐壺御方と呼ばれながら懐妊して実家の六条院に来て安らぐ等、明石一家の宿世は勿論、桐壺更衣一家の宿世もまた「夏」を通して成就される。多くの皇子皇女の母となり安定した明石中宮の姿は、緑陰の茂るごとき子孫の繁榮を期待した明石入道の念願が叶ったものであり、「夏」に亡くなった桐壺更衣の意志につながるものでもある。
紫上もまた「葵」 「藤裏葉」 「若菜上」 「若菜下」 「鈴虫」 「御法」 「幻」の 「夏」と深く関わるが、特に葵祭の描かれる「葵」 「藤裏葉」 「若菜下」 「幻」の「夏」は、紫上の人生の大事な事件の起る季節である。「葵」では隠されたまま光源氏とともに葵祭に出かけた紫上が、「藤裏葉」では光源氏の夫人としての威勢を誇りながら葵祭に出かけるに至る。そして「若菜下」では病から甦り、自分亡きあとの光源氏を心配しながら光源氏との因縁を再確認するようになる。このように「夏」の葵祭を背景に、紫上と光源氏の育んできた絆が明確になる。「幻」の葵祭も過ぎた「夏」、光源氏は紫上を偲んで降り注ぐ雨のように、涙を流すようになる。母更衣の亡くなった夏、泣いたことのない光源氏は、この夏、紫上を偲んで泣くようになるのである。紫上を偲ぶこの「夏」がまるで母更衣の亡くなった「夏」につながるかのようである。
このように『源氏物語』の「夏」は、桐壺更衣との繋がりの上で登場する藤壺, 明石君, 紫上の生の重要な諸事件や出来事を妙につなぎ会わせる鎖のように働きつつ、光源氏の母更衣の亡くなったあの「夏」にすべて通じているのである。「夏」という背景の設定は、決して偶然ではなく、光源氏の人生において、とりわけその愛の展開において、看過できない一つの文学的意味を持っていたのである。