戦後復興と高度経済成長を成し遂げた日本は、その過程で国際社会の平和と自由な国際経済交流体制の維持が、日本の安全と繁栄にいかに大事であるかを身を持って体験した。そのため、日本の外交は戦後一貫して政治、経済、文化の各方面にわたり、国際協力を通じた平和の維持と相互繁栄追求、国際緊張の緩和に寄与することに外交力を集中する姿勢を貫こうとした。その一方、日本に対する対外からの警戒心理の動きにも注視し始めた。日本政府も70年代の幕開けに際して、先進主要国からの強い風当たりと東南アジアからの思わぬ抵抗に直面すると、日本外交における自己認識の欠如を反省する一方、来る時代に対処するための外交路線の再整備に取り組み始めた。国際交流基金はその使命をもって誕生した。その後基金は、日本語教育をはじめ幅広い分野で日本の文化外交の核心機関として国際社会に名を知らせるようになった。以上を踏まえ本稿では、国際交流基金を通じた文化外交が本格的に展開される中で、90年代の基金が 「知的交流」を中心に推進した対アジア․太平洋文化交流実態とその意味を分析した。具体的には基金が人物․学術交流を強化するようになった背景、その延長線上で対アジア知的交流の推移、そして日本外交の要である対米外交における知的交流強化の背景と推進実態及び意義などを分析した。