本稿は日本の口語自由詩の真の完成者と評価されている詩人萩原朔太郎の晩年の詩集『氷島』に焦点を当て、日本近代詩人の文語詩回帰が示唆する文学史的な意味とその背景について考察した研究である。萩原朔太郎の最後の詩集である『氷島』は、漢文調の文章語で書かれたことだけに注目され、口語詩人萩原朔太郎の詩業の延長線で評価され、〈涸渇〉や〈退化〉として論じられた傾向が強い。しかし、『氷島』は〈憤怒〉の詩でもなく、悲嘆の詩でもない。また、〈涸渇〉の詩でも〈退化〉の詩でもない。〈かげ〉をひきずりながらも常に〈久遠の郷愁〉を求め続けた詩人の「渇望」の詩である。