本論文は時代別に獨島の歷史性を明確にしたものである。日本政府は韓國政府に對して獨島の領有權を主張している。獨島は地理的に東海のまっ中に位置していて人が住めない二つの小さい岩礁になっていて、朝鮮時代の朝廷は古代から朝鮮領土として認識していたことを王朝實錄に記載していた。獨島は天氣の良い日に鬱陵島から見える島である。獨島は鬱陵島の人にとって同島の屬島であるとの認識を持っていたようだ。したがって疑い無く獨島は鬱陵島とは不可分の關係にあった島であった。幕府時代に日本政府は鬱陵島の渡航を禁止していたが、近代になって、日朝修好條約(1976年)以後に日本人の漁夫が頻繁に鬱陵島を不法侵入することになった。朝鮮政府はその不法侵入を指摘して日本政府に對して漁民の撤收を要求したが、日本政府は韓國領土として認めつつありながら漁夫の送還については消極的であった。明治の日本政府は一時期鬱陵島を日本領土としての編入を試みたことがあったが、朝鮮領土である明確な?據があったため編入を諦めていた狀況のなかに、獨島に對しては無人島であると斷定して軍事戰略上の必要に乘じて日露戰爭中に日本領土に編入した。歷史的に見ると、古代中世近世近代時代にわたって獨島が朝鮮政府から韓國領土として認識されていた?據はあったが、日本が領土として認識していたような?據はどこにも見あたらない。にもかかわわず、領有權を主張している現代の日本政府は韓國領土として獨島の歷史性を認めていない。その理由として朝鮮王朝實錄に獨島の名?が多樣に現れるからそれは獨島ではないということである。鬱陵島から天氣が良い日に見える島は獨島しかないことは事實のである。したがって多樣に現れる島名は獨島のことをいうに間違いない。