文禄・慶長の役に朝鮮側に降伏した日本の兵士があった。特に朝鮮王朝実録に沙也加という日本名をもった人物が朝鮮の宣祖王から戦勝の功績を認められて官職と金忠善という朝鮮名を授けられたという記録がある。実は子孫がまとめた暮夏堂文集を除けば沙也加についての資料はほとんどない。暮夏堂文集には沙也加が生存していたとき、高い官職についていたと記録されている。おそらく先行研究は侵略者であった日本人が壬辰倭亂の際に朝鮮側に協力して戦争を勝利に導くに役立ったということから研究者の中では彼の行動に対してありがたい感情をもってその業績を誇張しようとすることまであったようだ。その結果、子孫がまとめた暮夏堂文集を基礎で作られたこのような認識を更に具体的に明らかに検討しようとする先行研究はなかった。本研究はこのような問題認識に基づいて沙也加の実体を違う方法をもって再検討を試みたものである。方法としては沙也加に預けられたという官職の位相を調べることである。言い換えれば外国人であった沙也加がどのくらいの地位にある官職に就くことができたかを検討するものである。まず、壬辰倭亂で戦った朝鮮人の官職と比べて外国人に実際どのレベルまで官職の授けが可能であったか、結論は朝鮮人でもなかなか受けられない官職に就いたということである。第2に、沙也加に授けられた官職は実際にどの程度の高い位相のあったものかであるが、結論は相当高い官職に就いていたのだが、実際可能であったかは多少疑問を感じるということである。したがって、現在存在する沙也加についての先行研究は改めて再検討されるべきであろう。