本研究では、「帝国日本による植民地支配期に採集された日本語朝鮮説話集」(日本語朝鮮説話集)について刊行の推移とその書誌、そして先行研究を考察したものである。朝鮮説話といえば、朝鮮にまつわる説話という広い意味での解釈も可能であるが、本稿で取り上げる「朝鮮説話集」は、朝鮮において朝鮮人の間で伝承される説話を集めた単行本に限定した。先行研究を踏まえて、新に発見した資料をまとめて、植民地期に52種の日本語朝鮮説話集が刊行されたことを明らかにした。先行研究では、前近代に刊行された「文献説話集」と、1945年以降に採集された「口伝説話集」を中心に取り上げ、その変容及び関わりを考察する研究が行われていた。しかし、近代初期に刊行された資料集は説話研究史において簡略に言及されるのみで、前近代の資料に比べて、その書誌は不明なまま今日に至っている。近年、ハングル等で刊行された近代説話集に関する研究が進められ、その傾向を把握できるようになった。鄭明基と金埈亨の研究によって、植民地朝鮮では30種以上の「才談・笑話・野談集」が刊行されたことが明らかになった。本稿ではそれを踏まえたうえで、新たに発見した日本語朝鮮資料集を取り上げてその書誌を明確にした。ハングル等で刊行された朝鮮説話集は、<才談・野談集>が中心で、昔話・伝説集が少なかったのに対して、日本語朝鮮資料集に収録された話の中には笑話などが多く含まれるものの、昔話・伝説集が多いことを確認できた。また、植民地支配と共に朝鮮説話も帝国日本説話に強制編入され、朝鮮説話までもが朝鮮の「知の支配」の延長線で展開されたことに留意しなければならない。しかし、帝国日本における朝鮮説話は最初から明確な基準の中で分類されるものではなく、時代と編者あるいは出版社の意図によって変わり得る流動的なものであった。日本語朝鮮説話集の編者の中には、朝鮮の教員と学務局の関係者が多く含まれており、植民地教育と説話が深く関わっていることが確認できた。特に、学務局の関係者の著書は、植民地教科書の説話収録にも影響を及ぼしたことに注意しなければならない。また、朝鮮総督府学務局は1910年代に2回にかけて朝鮮説話を調査しており、それが植民地教科書の説話に反映されたことを確認することができた。新たに発見した資料の内容及び性格に関する考察は今後の課題である。