本稿では、高木敏雄が1913年2月2日から翌年1月28日までにかけて連載した「世界童話」の中の朝鮮説話を考察したものである。近年、植民地期に刊行された日本語朝鮮説話集に関する研究が相次いでいるが、それとともに、単行本を含めて雑誌・新聞に連載された価値のある資料集に関する検討が求められる。高木の説話研究は、アカデミズムに基づいて「日鮮同祖論」に距離をおき、文明史的な立場から日韓説話を論じており、評価できる。高木は1912年3月17日に南方熊楠に送った書簡でを著述中であることを述べているが、実際に翌年から読売新聞に連載した「世界童話」に朝鮮説話を31話(50回)収録しており、貴重な資料となっている。収録された話は、文献からの採録のみならず、民間説話も収録しており、笑話がその中心となっている。また、児童のための新聞連載という側面もあり、説話をそのまま収録せず、改作を行ったいるが、教訓的性格は少なく、説話本来の面白さが強調されている。重要なのは、同時期に刊行された薄田斬雲や高橋亨の資料集にみえる偏見がなく、評価できる。また、児童向けの読物を意識し、子供を素材とした話が多く収録されている。特に大人に教える子供の頓才をモチーフにした話が多く存在する。問題は、朝鮮語を知らない高木がどうやって朝鮮説話を採集できたかを解明することである。本稿では、高木に資料を提供した人物が清水兵三(1890-1965)である可能性を検討した。清水は説話・民謡研究者で、島根県出身で高木編の日本伝説集に多くの島根県の資料を提供している。清水は、高木の影響で民間伝承に関心を持ち、1910年東京外国語学校朝鮮語科に入学し、1913年に卒業している。清水の資料は高木を始め、柳田国男、南方熊楠などにも採択され、多くの資料を提供している。清水は、朝鮮説話に関心を持つ高木との交流を通して、高木に朝鮮資料を提供し、高木は清水の報告を基に朝鮮説話研究を本格化させ、その資料を発表したと思われる。