明治維新と‘士大夫的 政治文化’の挑戰: ‘近世’ 東アジア政治史の摸索 朴 薰(ソウル大) 従来、明治維新史はヨーロッパ中心主義、あるいは近代主義的視点から主に研究さ れてきた。「西洋の衝撃」を強調するのがそれである。もちろんこのような説明方法も説 得的ではあるが、少なくとも19世紀前半や半ばごろの日本を丹念に観察すると、ほかの 重要な流れを読み取ることができる。「儒教的影響の拡大」である。ここから幕末維新史を「東アジア的観点」から読み直す必要が生じる。 18世紀後半から19世紀前半にかけて日本においては学校・私塾・勉強会などが急増 するが、これにもとづき、武士社会に儒学学習が盛んになる。それによって「 兵営国家」 体制下で政治とは縁の遠かった一般武士たちが政治に関心をもち、参加することになる。私はこのような現象を武士が士大夫に変わりつつあるという意味で「士化」と呼ん だ。 「士化」されつつある一般武士が政治に参加する際、学的ネットワークの活性化、上 書の政治化、党派・党争の擡頭など、中国や朝鮮の士大夫の政治活動の際、よくみられる 現象が現れた。私はこれを「士大夫的政治文化」という概念で捉えたが、それは宋代に誕 生し、明代の中国、また朝鮮の政治に著しくみられたものである。驚くことにそれが「兵 営国家」たる幕末の日本に現れたのである。「士大夫的政治文化」は兵営国家の軍人であ り、吏にすぎない一般武士を政治化させ、その体制を揺さぶったのである。 つまり、明治維新は「士化」されつつあった武士たちの「士大夫的政治文化」に基づい た政治行動によって触発されたのであり、それは維新後、急激な西洋化によって後景に 退いていくが、その過程においても少なくならぬ痕跡と影響を残すことになる。