本論文は、服飾が表現・表象として機能する前提としての眼差しに着目して、直衣を中心的な題材として、平安時代の男性貴族の服装について考察するものである。
10世紀中頃に、天皇の軽装や男性貴族の私服・宿直の服として登場した直衣は、王朝文学等においてきわめて肯定的に描かれ、彼らの高貴さや優美さを象徴する服装として機能した。『枕草子』や 『栄花物語』には、藤原斉信の美しい直衣姿や、仏事に参集した公卿たちの優美な直衣姿が称賛されている。男性の直衣に向けられる眼差しは、物語や絵画の世界と連動し、相乗的に作用しながら、服装文化の隆盛に寄与した。また、大規模な私的行事において、参列者の美しく豪華な服装は、行事を飾る重要な要素として求められ、人々の鋭い視線にさらされていた。
このような王朝文学を通してもたらされる、優美な私服という直衣の印象は現代の私たちにも強く及んでいるが、当時、直衣に向けられた眼差しは、決して好意的なものばかりではなかった。『枕草子』において絶賛された斉信の直衣姿は、同時代の藤原実資の日記では、奇怪なものとしてたびたび厳しく批判されている。実資は、天皇や后妃の身内ではない斉信が直衣を着て宮中に出入りすることは、嘲笑すべきこととし、実際に他の公卿も批判していると伝えている。
このような服装に対する異なる眼差し、異なる態度については、さまざまな面から検討する必要があるが、本論では、文学作品における作為の問題と、服装に内在するアンビバレンスについて集中的に検討する。文学作品においては、時に服装が人物の性格や状況等を表わすものとして効果的に描写される。特に、随筆や歴史物語等、実際の出来事を題材とする作品においては、作者の設定した視線に身を委ねる読者は、そこで語られる服装を史実としてしまうことがあるが、こういった記述を史料として用いるには、作品内の論理を認識し、重層的に読み解く必要がある。
また、ファッション論を参考にするならば、直衣という同じ服装に、称賛の眼差しと嘲弄の眼差しの両方が向けられていたことは、宮廷という特権的な社会における服装や所作、すなわちファッションには不可避のことであった。他者の視線を意識しながら、政治的立場や思想を表象するために選択される服装は、必然的にアンビバレント(両価的)なものである。王朝社会は、決して常に固定的な規範に基づいて服装が決定されていた社会ではなく、多様な視線が交錯する中で、絶えず新たな規範の生成と逸脱が発生していた社会であった。