「坑夫」において靑年は生きる喜びがないがために死を願い、死の世界に似ていると思われる地下の抗道に入ることを欲した。しかし、彼は抗道の洞窟の中で冷たい水に浸かり、死に臨むような體験をすることで現實に目覚めた。自分が生きていることを實感したからである。彼はこうしてそれまで彼の心を覆っていた虛無感から脫した。そして日常へと戻ることができた。結局、「坑夫」の冒頭に書かれた「不安」は、必ずしも抗道の体験と因果關係があるとは言えない。「坑夫」の筋が「不安」から始まったとすれば、それは「不安」とは何ら關係のない抗道の中での生死の體驗やその後、抗道を出て日常に戻るという結末と矛盾するからである。したがって抗道體驗への導入として設定されたこの一連の「不安」の內容は、漱石が故意に書き加えたものであり、當時の漱石の精神狀態を表わしたものであったと言うことができる。