本稿では「ヴィヨンの妻」と「母」「父」における彼らの≪苦悩≫に関して再解釈してみた。父は父としての知覚もなく、自己中心の人であり、家内は≪涙≫を流して暮していた。こういう父母像から、彼らなりの≪苦悩≫を抱えていることが分かり、精神的に弱い存在であり、世間と向き合おうとしていないことから≪革命≫的な人間像を通じて、世の中を否定しようとしたことが分かった。だから、彼らは≪苦悩≫と戦っていくしかなく、≪神≫と≪義≫というフレーズにその≪苦悩≫が無くなると思った。≪革命≫の先の≪苦悩≫には≪神≫と≪義≫が生かされ、≪苦悩≫を乗り越えれば、≪精神の幸福≫言い換えれば、人それぞれの≪意地≫が隠されていたことが分かった。この≪意地≫を隠さず、≪意地≫を張っていくことが人の≪幸福≫であり、太宰の≪幸福≫であった。