福沢健全期(1882~1898)時事新報の陸軍論を概観すると以下のようになる。 (1)福沢健全期の時事新報での陸軍論社説は94編119日分ある。これは同期間(5338号分)の全社説中のおおよそ2.2%に相当する。 (2)論調の変化に即して7期に分けられる。掲載頻度は日清戦争期(1894~1895)を除いて平均している。 (3)全集への採録状況では大きなを見ると、非常に大きな偏差がある。1886年から1893年までの陸軍論は全集に収録されていない。 (4)1886年から1893年まで社説を指導していたのは福沢本人だった。石河幹明はその期間の社説を全集に収録していない。 (5)福沢の帝国主義的野心を示す証拠として引照されている社説は朝鮮甲申政変後の1885年かまたは日清戦争開戦後の1894年に掲載されたものに限られる。 (6)全集非収録となっている陸軍論にあっても帝国主義的野心をうかがわせる社説は発見できていない。 (7)日清戦争前の時事新報の論調は、財政逼迫の状況にあって陸海軍とも規模を縮小するべき、というものだった。 (8)1894年7月の日清開戦後に時事新報が戦争を翼賛したのは事実だが、福沢個人が行ったのは戦費調達のための募金活動だけである。 (9)日清戦争後の陸軍論は、海軍論と同様大規模な軍拡を主唱するものだが、それらに福沢が関与していた証拠はない。