「蜘蛛の糸」(初出「赤い鳥」大正7年7月)は、芥川龍之介がはじめて書いた童話として有名である。その主題については、昔は「勧善懲悪」「因果応報」などという教訓譚として読まれてきたが、近年では、犍陀多を「悪人」というより、「人間一般の存在」と捉え直し、蜘蛛の糸を垂らしたお釈迦様の行為の不可解さに注目する論考が増えている。筆者もこうした先行論の流れに沿いつつ、「極楽/地獄」と対照的に描き分けられている二つの世界に注目し、その違いを考察した。結論的にいえば、「極楽」にはドラマ(物語)がないが、「地獄」にはドラマ(物語)がある。そうして、犍陀多を主とする人間のドラマを否定するかのように、何の変化もなく佇んでいる極楽の世界は、芥川晩年の「話らしい話のない世界」――物語性のない世界のプロトタイプとなっているのではないだろうか。本稿はそうした問題を見据えながら、本作の極楽の特徴を、原典などとも比較しつつ、論じたものである。