本稿は、これまで幕府の規制失敗と評価されてきた名目金貸付に関する幕府法令とその施行の実態を考察し、近世後期に飛躍的に成長していた新しい金融に対する権力内部の異なる思惑に注目した。
名目金貸付の幕府委託という大改革を掲げた一七七五年の法令は、単に名目金貸付の弊害を正すことだけがその目的ではなかった。これはまた、名目金貸付の幕府権力への編入を意図したものであり、田沼時代に目立った幕府利益重視策の実現でもあった。しかし、これは京都町奉行の反対で修正され、主な対象地域である京都では奉行所への貸付報告が代案として施行された。これにより、幕府権力は名目金貸付の全般的な情況を把握できる権限を持つようになった。名目金貸付に介入しようとした幕府の意図は別の形で貫かれていた。以後、再び名目金貸付の幕府委託をいう法令は登場するが、ここではまた当該貸付の規模や期間に制限が加えられていた。その背景にもまた在京役人の反対があった。実際の貸付を運営する官僚にとって、名目金貸付の幕府委託は新たな負担の転嫁に過ぎなかった。
このように近世後期の名目金貸付をどのように扱うべきかをめぐって幕府権力の内部には異見が存在していた。名目金貸付という金融の包摂を図った幕府の中央権力とは異なり、地方の官僚はそのような急進案に反対した。名目金貸付に対して幕府権力はそれと距離を置いた状態で、いわば緩く把握することが適切だと彼らは判断した。そして彼らの意見は関連法令の施行において相当な影響力を発揮したと思われる。