本研究は韓半島の北鮮と満州(現中国東部3省)で詠まれた日本伝統詩歌に注目し、当時の北鮮·満州·満鮮に対する文人たちの視線と声を復元することを目的とした。過去、東アジア各地で創作された日本伝統詩歌は2000年代に入ってから「外地日本語文学」として活発に研究されてきた。しかし、北鮮·満州·満鮮は研究の領域から疎外されていた地域で、今まで本格的な研究が行われていないのである。朝鮮の北鮮、そして満州はいわば日本伝統詩歌の不毛地と認識されてきたが、各地に俳句会が存在するなど日本伝統詩歌は活発に創作されていた。特に北鮮は満州と接した地域で、満州との連結性が日本伝統詩歌にも詠まれていた。日本による植民地時代「満鮮」という言葉、そして日本列島と韓半島、満州、ひいては中国大陸が単一の鉄道網で連結されるイメージの流通は果てしない領土拡張を夢見た帝国日本の野心に他ならなかった。実際「満鮮」体験を背景にした視察記、旅行記そして詩歌集でも満州と朝鮮は単一のユートピア的空間として思惟されていた。しかし、それと同時に満州と朝鮮の国境とこれを表象した俳句を通じて「満鮮」という言葉と実際の空間の間の間隙を探ることができた。