本研究は日本の植民地であった朝鮮で‘画家’としてのアイデンティティを獲得し、多様な活動で社会的地位を構築した加藤松林人(1898~1983)に注目したうえで、彼が残した絵画と記録から植民地での叙事と戦後日本での旅情を再照明したものである。方法的には、引揚げられた後の彼が描いた朝鮮に対する‘ノスタルジア’の仕組を分析することで、彼の‘朝鮮の色’とはどのような情緒と表象か込まれたものであったのか、さらには、現在の彼に対する評価がどのような脈略で意味化されていたのかを探求した。
加藤は、すでに朝鮮に定着し、日本人の畫壇を構成していた淸水東雲の門下生として絵をはじめ、淸水のように朝鮮の畫壇で影響力をもつ重要な人物として名をあげた。また、加藤は、当代の日本人画家たちが主に日本の特徴を表す素材を対象としたことに反して、朝鮮人の文人や画家との交流も持ちつつ、朝鮮の生活感が込められた朝鮮の風景を描いた。こうした点が、彼の作品がもつ大きな特徴であり、当代の日本人の作家との差がつけられる、と現在に評価されるところである。なお、彼は戦後の引揚者として、ある‘使命感’から両国の架橋の役割を模索し、在日朝鮮人との関係を築き、一生に亙り望鄕として朝鮮の風景を描き、そこでの時間を記録した。そして、両国の国交正常化か成立する前である1963年に、韓国政府にまぬがれた戦後日本人として‘初’という象徴的な人物になったのである。
近来、植民地期の研究において、多様なアプローチと方法が模索されている。その一環として、帝国の制度から離されないが、各文脈で文化コードを造ってきた、個別的な主体が注目されることになった。‘在朝日本人画家’であった加藤の事例は、植民地の文化を造る場で、日本人と朝鮮人に両分離された二つの主体以外の、いわば、その隙間に漂った個別的な主体の端初を提供するものである。こうした関心から本研究は、植民地に定着した日本人が‘朝鮮’を受け入れた方式やそれを思惟する態度の一面を探ったことに意味が附けられる。