本論文は、在日朝鮮人2世の作家朴壽南の「朝鮮人被爆者」をめぐる著作とドキュメンタリー映画を、脱植民主義および脱冷戦思想と関連づけながら分析することを目的としている。特に、1960年代から1980年代にかけて朴壽南の主な表現媒体がライティングから映画製作に転換していく過程に注目した。証言集『もうひとつのヒロシマ―朝鮮人韓国人被爆者の証言』は、原爆が投下された広島における朝鮮人の生存者や目撃者を、多様な声と時空間的次元が交差するポリフォニー·テクストに参加する者として位置づける。また、この証言集には証言が行われた時点と朴壽南による叙述が行われた時点、そして改訂版が出版された時点の間に距離が存在するが、これは「書き直し」テクストとしてこの証言集が持つ意味を喚起する。アジアの反戦·反核·反独裁運動に共鳴しながら、自身のルーツとつながり合う「反日本人」の原理を提示した朴壽南は、アジア·太平洋戦争を終結させた原爆がどのように、そしてどれほど長期的に生存者の社会的な関係と居場所を剥奪してきたのかを提示する。このように、朴壽南は朝鮮人被爆者をめぐる問題を「長期的非常事態」として捉え直すために、まず女性生存者の証言に注目し、これらのナラティブにおけるジェンダー·階級·年齢·障害/非障害·人種差別の複雑な構造を浮き彫りにした。次に、朴壽南は証言ドキュメンタリー映画「もうひとつのヒロシマ―アリランの歌」をとおして、技術的·媒体的転換を試みた。1960年代に朴壽南が行ったオーラル·ヒストリー調査を回顧するような形で製作されたこの映画は、不在の形でしか現れない存在、すなわちすでにこの世にいない者と地上から消えた場所への証言者=生存者の応答であるとともに、語る場所を剥奪された人びとへの「私、朴壽南」の応答が重層的に組み込まれたテクストである。この映画の最も特徴的な点は証人たちの朝鮮語、そして朝鮮語/日本語が混ざった音声に朴壽南の声を重ねた技術である。映画をとおして朴壽南は通訳者の役割を遂行するが、突然言葉を止める瞬間がある。その瞬間、朝鮮語、または朝鮮語/日本語が混在した証言者の静かな声が流れる。証言者の固有性と個別性が現れた瞬間、朴壽南は証言者の傍で彼/女の話を黙って聞く。うめき声や沈黙のように、意味の弁別的機能を失った(非)音声的記号を視覚的·聴覚的に再構成することが、この映画では重要な意味を持つ。その瞬間、映画を観る者に求められるのは、一方では彼/女の固有の名前と身体、そして声を感知する能力であり、他方では証言者それぞれの身体とナラティブを横断することができる想像力である。このような双方向の想像力をとおして、私たちは「被爆者」のカテゴリーに内在するアイデンティティ·ポリティクスを認めるとともに、民族·階級·ジェンダー·世代·障害/非障害などの多層的な脈絡から朝鮮人被爆者の問題を再認識することができるだろう。