일문목차
序論=1
「日独伊ソ四国協商構想」とその問題=1
三輪宗弘の異論=3
松岡外交像の再検討=5
第1章 東亜新秩序と「自主外交」の挫折=9
1. 日中戦争と東亜新秩序=9
東亜新秩序の矛盾=9
行き詰まる日本経済=12
2. 日中戦争終結に向けた努力とその挫折=14
汪兆銘工作と防共協定強化交渉=14
有田·クレーギー協定と日米通商航海条約の廃棄通告=15
独ソ不可侵条約の成立とノモンハン事件=17
3. 外務省革新派と日独伊ソ提携論=18
外務省革新派の形成と白鳥敏夫=18
白鳥の日独伊ソ提携論=20
4. 阿部信行内閣と「自主外交」路線=21
阿部内閣の成立と外交政策の再定義=21
企劃院による物的·経済的判断=24
5. 「自主外交」の展開=29
対ソ関係の修復=29
日中戦争の自力解決=31
対米関係改善への取り組み=32
危機管理としての対南方外交=33
6. 米内光政内閣と「自主外交」路線の継承=34
米内内閣の成立=35
日中戦争の自力終結=35
南方地域との経済関係強化=37
欧州戦争の再燃と蘭印問題=39
南進論の萌芽=42
7. 南進論の具体化と「自主外交」路線の崩壊=44
援蔣ルート遮断の完成=44
桐工作の進展=46
陸軍と南進論=47
「時局処理要綱」の国策化=49
米内内閣のジレンマ=52
米内内閣の崩壊=54
第2章 松岡外交の始動=57
1. 第二次近衛文麿内閣の成立と南進政策(一九四〇年七月-八月)=57
第二次近衛内閣成立=57
荻窪会談と「時局処理要綱」=59
2. 外相としての松岡洋右=65
政治家として立つまで=65
松岡入閣=68
外務省革新派と松岡=70
政府内における松岡の政治的機能=73
3. 南方政策の始動(一九四〇年七月-九月)=75
南方政策の具体化=75
蘭印経済交渉の始動=79
仏印交渉と「松岡·アンリ協定」=81
「応急物動計劃」と南方作戦計劃=85
4. 米ソとの関係(一九四〇年一月-八月)=89
アメリカの極東政策=89
対ソ関係の展開=91
松岡のワード·ポリティクス=93
5. 欧州戦争をめぐる国際関係(一九三九年九月-一九四〇年八月)=96
独ソ関係とイギリス=96
英独戦争と独ソの不協和音=98
日本でのヨーロッパ認識=102
米ソ接近の兆候=106
第3章 日独伊三国同盟の成立=109
1. 南進政策と日独提携像の具体化(一九四〇年七月-九月)=109
「日独伊提携強化案」をめぐる協議=109
対独提携像の具体化と対英方針=113
対独提携像の具体化と対ソ方針=114
対独提携像の決着と対米方針=117
2. 松岡の外交戦略(一九四〇年七月-九月)=123
松岡の状況認識=123
松岡の対英戦略=126
松岡の対米戦略=128
松岡の対ソ戦略=132
3. 三国同盟交渉(一九四〇年八月-九月)=135
ドイツ外交の転換と日独接近=135
海軍の反対=138
松岡·シュターマー交渉の開始と海軍の転換=140
ソ連の取り扱い=144
交渉妥結=146
4. 三国同盟の成立(一九四〇年九月-一○月)=150
三国同盟締結=150
三国同盟締結後の松岡の施策=156
三国同盟に対する反応=160
第4章 南進政策の蹉跌=165
1. 南進政策と日中戦争(一九四〇年九月-一一月)=165
北部仏印進駐=165
ビルマルート再開と対中援助=169
桐工作と銭永銘工作=172
汪兆銘政府承認と「支那事変処理要綱」=175
2. 蘭印経済交渉の展開(一九四〇年八月-一一月)=178
南方政策の再定義=178
蘭印経済交渉の開始と石油確保=180
石油交渉の妥結=182
小林代表の辞任=185
3. 対日経済圧力とその影響(一九四〇年七月-一九四一年一月)=187
対日経済圧力=187
日本側の対抗策=190
物動計劃の改訂=193
蘭印経済交渉の再開=195
4. タイ仏印問題(一九四〇年一〇月-一二月)=197
仏印経済交渉の開始=197
タイ仏印国境紛争の勃発=200
日タイ関係の状況=202
タイ仏印問題をめぐる事情=203
紛争調停の開始=207
5. 対ソ交渉の難航(一九四〇年一○月-一二月)=209
対ソ交渉の始動=209
ドイツの対英外交戦=213
ベルリン会談=217
対ソ開戦の決定=221
第5章 松岡外交の「勝利」=225
1. タイ仏印調停の本格化(一九四〇年一二月-一九四一年二月)=225
陸海軍の接近とタイ仏印に対する強硬論=225
急がれるタイ仏印調停=227
慎重論に転じた松岡=229
停戦協定の成立=231
2. 第七回連絡懇談会での対立(一九四一年一月三〇日)=233
「対仏印泰施策要綱」をめぐる対立=233
松岡の武力南進構想=235
修正された「対仏印泰施策要綱」=236
3. タイ仏印調停の成功(一九四一年二月-三月)=239
調停交渉の開始=239
劣勢に立たされる松岡=240
調停成立=242
4. 対米交渉の模索(一九四〇年八月-一九四一年三月)=246
松岡の対米宥和策=246
ローズヴェルトの攻勢=250
対米交渉の端緒=253
アメリカとの妥協点=256
極東の危機説=238
5. 松岡訪欧と日ソ中立条約締結(一九四〇年一一月-一九四一年四月)=261
対ソ交渉の重要性=261
「対独伊蘇交渉要綱」と訪欧の準備=264
シンガポール攻略問題=269
訪欧と独伊首脳との会見=271
松岡·モロトフ交渉=274
日ソ中立条約成立=277
第6章 破綻と終焉=283
1. 南方経済交渉の進展(一九四〇年一二月-一九四一年四月)=283
仏印経済交渉の妥結=283
蘭印経済交渉の行き詰まり=285
現地代表団と日本政府の対立=288
2. 南進政策の変質(一九四〇年八月-一九四一年四月)=290
「自存自衛」のための南進=290
「時局処理要綱」の再検討=294
「対南方施策要綱」=298
3. 日米交渉(一九四一年二月-五月)=302
松岡訪欧中の対米工作と「日米諒解案」=302
スタインハート工作=305
松岡の帰国と「日米諒解案」=307
松岡の対米交渉方針=308
松岡の対米認識=310
4. 蘭印経済交渉の打ち切り(一九四一年四月-六月)=313
妥協案の提示=313
交渉打ち切り=316
5. 独ソ開戦への対応(一九四一年四月-六月)=322
独ソ開戦確実の報告=323
仏印問題の再燃=324
「南方施策促進ニ関スル件」をめぐる攻防=326
国策の再検討と「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」=330
6. 北進論への転向(一九四一年五月-七月)=333
独ソ開戦と日米交渉=333
北進論への転向=335
北進か南進か=338
関特演と南部仏印進駐の実施=344
7. 松岡外交の破綻と閣外放逐(一九四一年五月-七月)=348
進展しなかった対米交渉=348
孤立した松岡=351
閣外放逐=352
的中した松岡の豫測=354
終章=357
松岡外交の構造=357
松岡外交の制約要因―政治的要因=358
松岡外交の制約要因―松岡の認識=360
再構成される松岡外交像=362
註=367
あとがき=421
参考文献=427
主要事項索引=444
主要人名索引=448