일문목차
はじめに―ハンギョレ新聞社襲撃=9
第一章 韓国における記憶の語り方=17
1. 韓国民主化闘争とべトナム=18
2. 「発見」された虐殺=20
ク·スジョンとベトナムとの出会い=20
現地調查と『ハンギョレ21』での最初の報道=21
3. 伝えられた虐殺―『ハンギョレ21』キャンペーン=23
コ·ギョンテ記者の企劃=23
主要な記事=24
読者の反響=28
4. NGOの活動=32
NGOナワウリ―韓国軍虐殺事件との出会い=32
韓国軍虐殺事件調査=34
NGOグッドウィルの設立とボランティア活動の開始=34
活動参加者の声=38
「和解と平和のためのベトナム診療団」の活動=42
5. 記憶の闘争―参戦軍人との「対話」=43
6. 記憶の再解釈=46
平和文化祭=46
『狂気の瞬間』=48
7. 語られる記憶―参戦軍人たちの証言=49
インタビュー(1) 枯葉剤戦友会のキム·ソンウク=51
インタビュー(2) 猛虎部隊に属していたA=55
インタビュー(3) キム·ヨンマン=61
その他虐殺について語った元軍人たち(『ハンギョレ21』から)=69
8. 小括=73
第二章 ベトナムにおける記憶の語り方=75
1. 与えられた刺激=75
『ハンギョレ21』報道への反応と報道規制=77
べトナムの青年たちの反応=79
ク·スジョンへのベトナム外務大臣親書=82
ヴァン·レー監督『怨みの靈の遺言』の製作=84
ヴァン·レーという人=85
上映と反応=87
2. 統制される記憶―ベトナム中部各省の動き=89
(1) 優先された外交関係―クアンナム省ハミ村の追悼碑をめぐる騒動=90
ハミ村の虐殺事件=91
追悼碑の建立=96
碑文の内容=98
碑文をめぐる韓国側の圧力=100
べトナム政府からの圧力=104
クアンナム省とディエンズオン社の屈服=105
碑文をめぐるディエンズオン社の住民の対応=109
(2) 地方レべルを越えさせない「虐殺の記憶」―ビンディン省/県主催の慰霊祭=115
虐殺事件の概況=117
地元の取り組み=121
追悼碑の建設と慰霊祭=122
和解の夜=130
ニョーラムの虐殺(根こそぎの殺戮で消えてしまった集落)=132
国家の方針と個人の思い=135
(3) 「ソンミ平和公園」になれなかった「韓越平和公園」―フーイエン省/韓国市民の募金でできた公園とその後=137
虐殺事件の概況と地元の取り組み=139
村人たちの思い=143
韓国からの援助と様様な交流=144
平和公園の建設=145
平和公園のその後=148
ソンミ事件と韓国軍による虐殺事件は何が違うのか=156
(4) 「歷史研究は外国との友好促進のためのもの!」―クアンガイ省/二〇〇九年「ベトナム参戦勇士は世界平和に貢献」問題を経て=162
虐殺事件の概況と地元の対応=164
地元の取り組みと村人たちの思い=168
国家による締め付け·記憶の統制=170
3. 小括=173
第三章 交錯する記憶―報道一〇年後の軋轢=175
1. 韓国国家の反応と活動=177
国家の対応(1) 大統領の謝罪=177
国家の対応(2) KOICAによる援助=180
2. 韓国参戦軍人会の活動=181
華川―「ベトナム参戦勇士出会いの場」=185
各地のベトナム参戦碑=184
3. 韓国国会の議決=185
「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦有功者」=185
べトナム国家の反発とその理由=188
4. 韓国における平和博物館の活動=191
ベトナム戦争真実委員会=191
韓国における平和博物館の設置=193
阻止されたベトナム人記者の韓国派遣計劃=195
5. 小括=197
第四章 記憶の戦争―和解への道とは=199
1. ベトナムはなぜ「過去にフタ」をするのか=199
2. 切り捨てられた記憶―「過去にフタをして未来へ向かおう」というスローガンがもたらしたもの=205
3. 「過去にフタ」はできない―日本の場合を考える=210
「被害者」意識と日本独特の社会規範=210
戦争責任を棚上げした復興=213
語られはじめた加害体験=214
歷史修正主義の登場=218
「植民地責任」への自覚の薄さと, 日韓·日中関係=221
世代と国境を越えて―「応答可能性」としての戦後責任=224
おわりに―「残余の記憶」を拾いつくそぅとすること=227
附章 これまでの研究について=233
1. ベトナム戦争への韓国軍の派兵とその影響に関する研究など=234
2. ベトナム戦争の記憶, 特に韓国軍に関わる記憶の研究=241
あとがき=260
年表 : 韓国軍の派兵を中心に=268
参考文献=285
索引=290